- 作家名
- 池田 亀太郎(いけだ かめたろう)
- タイトル
- 塩鮭図
- 制作年
- 不詳
- 技法・材質等
- 板・油彩
- サイズ(cm)
- 105.6×39.4
- 備考
市指定文化財
作品解説 |
酒田における写真師の草分けでもある池田亀太郎は、1862(文久2)年に浜町(現・相生町付近)で、池田亀蔵の長男として生まれた。 亀太郎が22歳の時、日本近代洋画の先駆者・高橋由一が1884(明治17)年10月5日から14日までの十日間、酒田に来て三浦屋旅館に滞在している。この間、二人が会ったかは定かでないが、池田家の言い伝えによれば、由一は「絵描きになりたいなら、先ず写真術を習いなさい」と助言したらしい。そのため亀太郎は、東京に出て、写真術とクリーニング(洗濯)の技術を習得した。 本来、洋画を学ぶために写真術を習得したが、それが本業となり、酒田港の船場町付近で池田写真館を開業する。亀太郎は、撮影した写真を駆使して、主に酒田の名士の肖像画を描いた。 由一が描いた《鮭》と亀太郎が描いた《塩鮭図》の2つを比べてみると、大きな違いがある。由一の鮭の頭は上向きに描かれているが、亀太郎の鮭の頭は下向きに描かれている。 庄内地方の風習の一つとして、塩鮭の頭部が上だと頭の油が染み込み、鮭の味を落とすとされており、頭を下向きに吊るして保存する。このことから、亀太郎の《塩鮭図》は由一の《鮭》をそのまま模写したのではなく、あくまで庄内地方の鮭を写生したものであることが分かる。 現在、庄内で確認されている亀太郎の《塩鮭図》は3点あり、その内の2点が当館に収蔵されている。板に描かれた本作《塩鮭図》は平成2年に市指定文化財に指定された。 |
展覧会歴 |